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2017年5月7日(日)〜5月16日(火)
決定版イタリア大周遊10日間
JTB旅物語

従妹と二人 参加者28名 添乗員1名

12月 海外旅行へ出かけようと 従妹と二人話あいました
歴史好きな従妹と イタリアへ 出かけることにしました
パンフレットの内容を見ると 昔 教科書で得た知識ばかりです
実際の触れること見ることができるのです
とっても楽しみです

第6日目 5月12日(金)
マテーラ ポンペイ観光



8:30出発
バスで1:40 マテーラにつきました

マテーラ散策
カッパドキアを思い出すような洞窟「サッシ」住居の町 
映画に出てくるような街並みです
でも 自分の家の2階が人の家の玄関です
汚水 ゴミはどうしているのでしょう
街の中には道路が一つ
後は 歩くのみです

絵になる街です
お土産品も可愛い!
一応 オカリナ
お土産品
昼食

オレキエッテイ

美味しいです

ポンペイ遺跡観光

63年(弥生) 大地震が起こり その後再建
79年8月24日 ヴェスヴィオ火山が噴火し 
溶岩と厚い火山灰にポンペイの街は埋もれたそうです


中央広場 アポロン神殿 
馬を繋ぐ 穴
マルケム(市場) 
ガイドさんが熱心に説明してくれます

成田で支給された イヤホンガイドで 話を聞きます
浴場の説明
浴槽です

浴場の大理石が見事に残っています
枠に字が書かれています
大きな石は 横断歩道
引き戸のレール
食べ物屋さんの 窯の跡

パン屋の窯

パン屋さん臼

井戸
道路

2000年前のものがしっかり残っています
ほりだした物が倉庫に積まれていました
壺 他 色々 あります
夕食
ワインで 乾杯

アサリのパスタです

ナポリ泊まりです

第7日目 5月13日(土)
カプリ島観光 アマルフィ海岸ドライブ


朝起きて 見たら 私たちの部屋は 隠れ家のよう
昨日の夜 ボーイさんに案内してもらわなければ たどり着けませんでした
お庭を散歩すると 大きなプールがありました
カプリ島観光
ヨーロッパの避寒地 レモンが有名です

青の洞窟

海面の下から潜った開口部から透き通った水を通して太陽光線が入るため、
洞窟の内部は下から
照らされたような青い光に満ちている
洞窟の入り口の高さ 1メートルほど 
洞窟内は長さ54m 高さ15m 水深14mから22m

青の洞窟をとても楽しみにしていたのですが 風が強いため中止だそうです
カプリの街
リフトに乗って カプリ島の山へ登ります
山頂からの展望は 素晴らしい
蒼い海に 360度囲まれています

添乗員さんが 急いで降りてくださいと 焦っています
カプリ島の あの山の上へ行ってきたみたいです

アマルフィ海岸をドライブ
します
バスは 右側に座ることと 本に書いてあったので 朝から右側に座ります

ポジターノの丘からの景色はアマルフィ海岸一の景勝です

ポジターノは小さな入り江の崖沿いに立ち並ぶ家並みが美しい街です。
果物屋さんが 並んでいます
昼食
パスタ
カプレーゼサラダ
2:30ほどバスに揺られ ナポリへ帰ります

夕食は 肉料理
選べるデザートは 「ババ」を選びました

第8日目 5月月14日(日)  「永遠の都」イタリアの首都ローマへ
バチカン ローマ観光


ナポリ2連泊です
昨日のプールは 温泉が下から出ているみたいで 水が少し暖かいです
茹で野菜もあり 今回一番の 朝食です
神奈川県の人たちと「ハイポーズ」
隠れ家から出発です
白い花は ジャスミンの花です
バスで229K 3:30の移動です

ローマについたらお昼です
昼食
サルティンボッカ(パンの上にトマト・ベーコンのせ)写真を撮りませんでした
写真は 肉料理

ローマの凱旋門

フォロ・ロマーノ
フォロ・ロマーノは約2000年前の古代ローマ遺跡で、世界遺産に指定されています。
「フォロ・ロマーノ=ローマ市民の広場」という意味で、政治・宗教の中心として栄えました。
現在は基礎や柱の一部しか残っていませんが、
当時は巨大な石造りの神殿・凱旋門や下水道も整備されていました。
当時のローマは、2000年前とは思えない高度な建築技術を持っていたことが分かります

遠くに見えました

コロッセオ
古代の闘技場 188×156m 高さ48m 5万人の観客を収容出来ます 
72年(弥生)〜
剣闘競技 獣と獣 人間と獣 人間と人間 が死ぬまで闘った場所です
ローマ人の娯楽の場所でした
コロッセオの中です
新潟県から来た人
埼玉県から来た人
神奈川県から来た人
関東近辺から 28人が集まりました
10日間いると 仲のいい友達になりました

「私たち群馬からきました」

「僕 群馬の生まれです 吉岡村です」
「え〜 私も吉岡村生まれです」
ここ イタリアで 吉岡村生まれの人と会うとは思いませんでした
千葉県人のお二人さん
吉岡町に帰ってきたら 又 お会いしましょう
コロッセオ

日本が弥生時代にこんな大きな建物を作ったローマ人は やはり 素晴らしい


さあ お待ちかね 「トレビの泉」です


後ろ向きにコインを泉へ投げ入れると願いが叶うという言い伝えがあり、
コイン1枚だと再びローマに来ることができ
2枚では大切な人と永遠に一緒にいることができ、
3枚になると恋人や夫・妻と別れることができると言われます

このコインは半分がカトリック系チャリティ団体に寄付されます

ポーリ宮殿の壁と一体となったデザインで、
中央にを司るネプトゥーヌスが立ち、
左に豊饒の女神ケレース
右に健康の女神サルースが配置されている


トレビの泉
は人気が高く ものすごい人出です
添乗員さんが「すりにはご注意を」とイヤホンガイドで 案内してくれます

ジェラードを買って食べました
トレビの泉の横の店で ジェラードを買って食べました

スペイン広場
スペイン大使館があった場所です 
広場に中央にある噴水「バルカッチャの噴水」あります

スペイン階段 ローマの休日でオードリー・ヘップバーンがアイスクリームを
食べながら下りてきた場所です
現在は 食べ物を食べるのは禁止です
写真を撮るだけですが すごい混んでいます

バチカン市国観光
世界で一番小さい国 0.44平方キロメートルです
キリスト教の最大宗派であるカトリックの総本山サン・ピエトロ寺院です

4世紀頃に建てられたのが始まりで
16〜17世紀にかけてラファエロやミケランジェロなど
ルネサンス期の芸術家が改築に関わり
現在の荘厳な姿に生まれ変わりました
2〜3時間待ちもあると言われていましたが 夕方ですし日曜日なので すいていて
20〜30分で入れました

セキュリティーは厳重で 荷物のX線検査 空港並みの厳重さです
私は すいすい入れましたが 
「ピー」と鳴り ベルトを外し メガネ 靴 パスポートまで 出して
やっと入れた人もいました

中は 荘厳です

ベルニーニ作の大天蓋(パルダッキーノ)

「聖ペトロ像」

ミケランジェロ作「ピエタ像」



外には たくさんの椅子が並んでいました

スイスの衛兵

埼玉県のカケチャン 元気でいますか



カンツォーネディナーです

女性の歌声は 素晴らしいです

夕食

パスタ
魚料理 タラ
最後のローマ泊り

第9日目 5月15日(月)
ローマからミラノへ


最後のホテルは JTBのデラックスグレードホテルのわけですが
玄関は階段でスロープなし
エレベータは3人と荷物でいっぱい
バスタブなし シャワーのみでした

でも 階段・床は大理石でした
最後の朝食です
朝 道路が混んでいて やっと空港へ着きました

ローマ(フィウミチーノ空港)から飛行機へ乗り、ミラノ(リナーラ空港)へ飛び
バスに乗ってミラノ(マルペンサ空港)から日本へ飛び立ちます

ここでまた はしっこい従妹は 一番目に並び
「ウィンドーシート」
二人は 前後の窓際の席になりました
ウィンドウシートとは飛行機などの座席で窓側の席のことである。
長距離乗る場合はトイレなどで席を立つ際に通路側の席の人に
立ってもらわないと通路に出られないので、長時間のフライトでは
不便だが、短距離線ならフライト時間も短く、さらに小型の飛行機で
あれば比較的低空を飛び景色も十分楽しめるので、ウインドウシートがすすめられる
だそうです

要するに 景色が見られます
イタリアとはお別れです


ミラノからの飛行機はすいていて 隣は二人とも 空席でした
ゆっくり寝られました
和食 ワインをいただきました
帰りのコースです

第10日目 5月16日(火)
成田空港へ


    帰りのコースです

日本映画 2本
マンガ1本観て 眠って帰りますが 一日が7時間短くなりました
   
    朝食
   
    佐渡島を横切り 成田空港へ向かいます
   
    成田空港上空です

   
    無事帰ってきました
荷物も 出てきました
みんなにお別れを言って別れました
高速バスアザレアは13:05発

時間があるので 日本食「そば」を食べて帰りました
「美味しい!」

参考資料
イタリアの統一
都市国家に別れていた
1870年 ローマが首都
1943年 ムッソリーニ失脚
1948年 イタリア共和国(昭和23年)

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