2012年の山行記録 中山道を歩く

2012年1月29日(日)晴れ
中山道を歩くシリーズ6 8熊谷宿 
吹上駅〜籠原駅
 37454歩

8 熊谷宿
浮世絵中山道

L横澤
参加者 13名

コースタイム
6:33前橋駅〜7:45吹上駅〜7:59明治天皇御駐輦址〜8:04東曜寺〜8:09吹上神社〜
8:14吹上間の宿石碑と案内板〜8:34権八延命地蔵堂〜久下(くげ)の長土手〜9:04久下一里塚跡と稲荷神社〜
9:06馬頭観音〜9:28久下神社〜9:47久下鍛冶石碑〜9:50権八地蔵〜9:58久下の渡し跡〜10:02みかりや跡
〜10:10東竹院〜10:22東竹寺門前の庚申塔〜10:42仏説寺〜10:51八丁の一里塚〜11:22熊谷駅〜
藍屋(昼食)〜12:45高城神社〜12:53高札場跡〜12:57本陣跡〜13:05星渓園〜13:16八坂神社〜
13:26旧中山道石碑〜13:29熊谷寺(ゆうこくじ)〜13:31稲荷大明神〜13:43松巌寺〜13:49八坂神社〜
14:01秩父道志るべ〜14:31新島一里塚〜14:37忍領石碑〜14:40新照寺〜久保島歩道橋〜
15:08道端の祠〜15:19道端の祠〜15:27地蔵堂〜15:47籠原駅

熊谷宿は江戸から数えて8番目の宿場で、
人口は中山道で本庄宿、高宮宿に次いで多かったそうです。本陣2軒、脇本陣1軒
熊谷の地名由来
ここを本拠とした桓武平氏・平直方の後裔を称する平直貞が
付近を荒らしていた猛熊を退治し、熊野権現堂を築いた。
これに因んでこの地を熊谷と呼ぶようになり、直貞も熊谷姓を名乗るようになったという。

6:33前橋駅の電車に乗り
7:45吹上駅へ着きました

さあ今日も寒いけど歩きます (*^。^*)

7:59 明治天皇御駐輦址

8:04
右側に宝筴印塔といぼ地蔵尊で有名な東曜寺

8:09

神社の前に車がでんと止まっています
吹上地区鎮守の吹上神社



8:14

県道66号線高架下に、
「吹上間の宿」案内板と「中山道 間の宿」碑


中山道は ここの先でJR線で分断されているので
案内板の後ろの階段を上り、JR線路
を横断する陸橋を渡ります

8:34権八延命地蔵堂

荒川の堤防に突当る分かれ道左側に、
ひっそり建つ権八延命地蔵堂。

平井(歌舞伎では白井)権八が江戸へ向かう途中,
路銀に困りこの地蔵前で上州絹商人を殺害300両を奪った。
傍らで見ていた地蔵に「今のことを他言するな」と口封じをしたところ
地蔵が「己れは言はぬが汝も言うな」と口をきいたという。
そこから別名「物言い地蔵」とも呼ばれているそうです。


荒川の土手と続くこの辺りは、当時はとても寂しい街道
であったことが現在の様子からも十分伺えます。

お地蔵様は 優しいお顔をしていました

久下(くげ)の長土手を歩きます

空は青く 風が強い!

堤防から熊谷市となり、熊谷堤と呼ばれているそうです。

堤防左手は、川など全くみることができない
荒川の河川敷です

堤防上を約5分ほど進み、右側に「決壊の碑」石碑。

昭和22年9月のカスリーン台風では、この地点で濁流により堤防が決壊し、埼玉県北部の村々を襲うとともに おりからの利根川の決壊した
濁流と合流し東京まで達し、多くの人命を奪うとともに付近一帯に
甚大な被害を与えたそうです。
9:04久下一里塚跡と稲荷神社

土手の下に神社と一里塚跡があります



日本橋から
15番目 久下新田の一里塚跡

9:06馬頭観音

1841(天保12建立 馬頭観世音碑

「修堤記録輪型の碑」と呼ばれている久下堤碑。

9:28

この地域の鎮守 久下神社

9:47久下鍛冶石碑

一般の民家の前にありました

9:50権八地蔵


堤に上る手前右側に、ここにも権八地蔵堂。

お地蔵さんがみんな赤い毛糸で編んだ帽子とおかけを
していました

信仰心が篤いのですね

9:58久

熊谷堤に上がる右側に、「久下の渡 冠水橋跡」碑。

10:02

旅人を相手にした「しがらぎごぼうに久下ゆべし」が
名物の茶店「みかりや跡」案内板


10:10
その先左側に、東竹院
境内には、高さ3m重さ15tの巨岩達磨石がある。

10:22東竹寺門前の庚申塔

10:42仏説寺
10:51

公園の道路に面した一角に、「八丁の一里塚跡」

11:22熊谷駅

上越新幹線熊谷駅正面口 徒歩5分のところにある

「藍屋」で昼食

鍋焼きうどんと 小天丼

「う〜ん お腹がいっぱい!」

 
12:45高城神社

12:53高札場跡

市営駐車場入口信号手前左側に、高札場設置場所の
札の辻跡碑


熊谷宿(くまがい]しゅく)とは、江戸から数えて8番目の宿場

現在の埼玉県熊谷市にあたる。
昭和20年8月の熊谷空襲により、当時の面影の多くは焼失してしまった。
天保14年(1843年)の『中山道宿村大概帳』によれば、熊谷宿の宿内家数は1,715軒、
うち本陣2軒、脇本陣1軒、旅籠42軒で宿内人口は3,263人であった。

12:57本陣跡

本町一丁目信号交差点を渡り、竹井家本陣跡碑

13:05星渓園

13:16八坂神社


13:26旧中山道石碑

旧中山道は鎌倉町信号交差点 右角の八木橋デパートの中を通っている平成元年にこのデパートが増築した際、旧中山道が建物内に取り込まれてしまった。ここで熊谷宿は終わる

旧中山道出口にあたる八木橋デーパト西口には、旧中山道跡碑熊谷市の中山道碑は、この1ヵ所だけでとても貴重な石碑。

ここから右折し、すぐの横断歩道を渡り反対側「一番街」
看板
のかかる商店街に入り、すぐの分かれ道は右手を
進む。

13:29熊谷寺(ゆうこくじ)

熊谷直実の墓と伝えられる宝筐印塔がある熊谷寺。

13:31稲荷大明神


神社には自転車がいっぱい
デパートのお客の自転車かな

13:43松巌寺


13:49八坂神社

14:01

「ちゝぶ道 しまぶへ十一り」道標
1766(明和3)建立

秩父道はここで中山道から分かれ、
寄居,釜伏峠,三沢を経て秩父に至る。

14:31新島一里塚
すぐ右側に、樹齢300年高さ12m大ケヤキの
そびえる一里塚
(写真左)

ケヤキの頭が切られていて無残

14:37

さらにその先左側に、忍藩境界を示す
1780
(安永9)建立「従是南忍領」石標。

14:40新照寺
15:08道端の祠

15:19道端の祠

15:27地蔵堂
15:47籠原駅

寒い一日でしたが 無事に歩けました

感謝!

inserted by FC2 system