2012年の山行記録 中山道を歩く

2012年2月19日(日) 晴れ 
中山道を歩くシリーズ8 10本庄宿 11新町宿
岡部駅~新町駅 39998歩

本庄宿
浮世絵中山道
新町宿
浮世絵中山道

L藤井
参加者 13名

コースタイム
6:33前橋駅~7:23岡部駅~7:44島護産泰神社~7:58岡廼宮神社~8:04百庚申案内板~8:07百庚申と
八坂神社~8:16滝岡橋~8:23諏訪大明神~8:26稲荷社~8:47牧西八幡大明神~8:48宝珠寺~
9:05塞神・庚申塔~9:14内野歯科~9:18天王様~9:55中山道交差点~10:05園心寺~10:20城山稲荷神社
~10:46愛宕神社~10:48開善寺~10:53慈恩寺~10:55田村本陣門と歴史民俗資料館~11:18レンガ造り~
11:19安養院~11:28金鑚神社(昼食)~12:23馬頭観世音~12:41浅間山古墳~12:44中山道碑~
12:46泪橋跡碑~12:59庚申塔~13:11薬師堂と庚申塔~13:20金窪神社~13:34陽雲寺~14:08庚申塔~
14:09一里塚跡~14:14神流川橋14:25~14:28神流川古戦場跡碑~14:30ガトーフェスタ・ハラダ~14:54
常夜燈~15:03八坂神社~15:07諏訪神社~15:10専福寺~15:11浄泉寺~15:19行在所公園~15:23
お菊稲荷~15:48金井洋品店~15:45新町駅~前橋駅

今年の冬は寒い
朝の寒さは身にしみますが元気に岡部駅から出かけます
今日は 念願の群馬県入りです
いつもスズランの地下で買う「ハラダのラスク」を本社のガトーフェスタ・ハラダでラスクを買うことと
新町ひな祭りが楽しみです

本庄宿:中山道最大規模の宿場。宿場発展の最大の要因は、利根川の水運の集積地として賑わったことで、
陸上交通においても、越後、信州など周辺各地への分岐点であった。宿場は何度も火災にあい、当時の面影を
残す建物は極わずかで明治時代以降のものが多い。本庄の地名:平安時代後期から武蔵国の勢力を伸ばした
武蔵七党の武士団・児玉党の拠点となった。首領は荘(庄)を名乗り、その後分家が進み本家を本荘(本庄)と
言ったのが、地名の起こり。本陣2軒、脇本陣2軒

7:23岡部駅
前回 やっとたどり着いた岡部駅から出発です

7:44島護産泰神社

前回 ここを見学して岡部駅へ戻るところ
疲れて パスして次回にと回したところです

今回も無事に歩けることを祈願します

7:58岡廼宮神社

道を間違えて通り過ごすところでした
今日はお祭りの準備だそうでたくさんの男性が集まって
いました
神社の由来が書いてあります

分かれ道に中山道の碑が立っています

わかり易い標識もありました

分かれ道を左の坂道へ進み 右へ折れます

8:07
八坂神社へ着きました

道路沿いに「百庚申」がありました

左側に1860(万延元)庚申の年に
村の有志で建てられた百庚申塔
が現在

60基が並んでいます


わりと小さい?

「百庚申」の説明版

広い畑道を歩きます

上州の山々が見えてきました
赤城山へ向かって歩きます

8:16滝岡橋

浅間山 榛名山 谷川の山々が見えます

8:23諏訪大明神

8:26稲荷社

左の細い道へ入り、県道45号線ガード下をくぐり
「中山道」の標識に従い階段を登り右折します

8:47牧西八幡大明神

鎌倉八幡宮を奉還して1471(建久6)建立
八幡大神社


今日はおだやかで 歩きやすい
ここで休憩します

8:48宝珠寺

9:05塞神・庚申塔

お優しい顔をしていました

9:14内野歯科

素晴らしい門の左横に歯医者がありました

9:18天王様

9:55中山道交差点

10:05園心寺

本庄宿(ほんじょうしゅく)とは、江戸から数えて10番目の宿場

武蔵国最後の宿場。現在の埼玉県本庄市に当たる。江戸より22(約88km)の距離に位置し、
中山道の宿場の中で一番人口建物が多い宿場であった。
それは、利根川の水運の集積地としての経済効果もあった。

10:20城山稲荷神社


ほんじょうかるた

「け 欅の木 歴史を語る 城山稲荷」

10:46愛宕神社

10:48開善寺

本庄領主小笠原信嶺が1591(天正19開基の
信嶺夫婦の墓もある開善寺。

10:53慈恩寺

10:55田村本陣門と歴史民俗資料館

田村本陣跡から移築された市指定文化財田村本陣門


「め 明治の香り 歴史民族 資料館」

「旧本庄警察署
明治の洋風建築物として全国的にも例の少ない

明治16年建築 旧本庄警察署で、現歴史資料館

11:18レンガ造り

「旧本庄商業銀行」


11:19安養院


武蔵7党の児玉党の一族本庄信明の弟藤太郎が仏門に帰依し

1475
(文明7)開基の安養院

11:28金鑚神社(昼食)

彫刻を施した丹塗社殿の本庄宿総鎮守
541年創立 

境内には、県指定天然記念物の
樹齢350年の巨木クスノキがありました

社殿をお借りして 昼食タイム

初詣は大変な賑わいだそうです

「そ 総鎮守 金鑚神社の 神迎え」

横断歩道の手前を右に折れます

静かな住宅街を歩きます

12:23馬頭観世音

12:41浅間山古墳

直径約38m高さ約6m浅間山古墳
頂上に全長約9.5m横穴式石室

12:44中山道碑


12:46泪橋跡碑

泪橋
幕府の伝馬役(助郷)の苦役に、
当時ここにあった川の橋に憩い、
家族を偲び、身のはかなさを嘆じて涙を流したという


12:59庚申塔

13:11薬師堂と庚申塔

13:20金窪神社

13:22法西寺

13:34陽雲寺

武田信玄ゆかりの重要文化財が保管されている陽雲寺

陽雲寺
1205年(元久2)創建で当初満願寺と称していたが

1591年(天正19)金窪城主となった川窪信俊の
養母・武田信玄の妻がこの境内に居住し、
1618年(元和4)没した。
信俊は、養母の菩提を弔うためその法号・陽雲院
をとって寺号を陽雲寺と改称した。そうです



14:08庚申塔

1800(寛政12建立「庚申」塔と石仏群

14:09一里塚跡

民家に挟まれた一角に一里塚跡碑

14:14神流川橋14:25

「やたぁ~! 群馬県 高崎市 でぇ~す」

14:28神流川古戦場跡碑

橋を渡り終わったとことに立っています

神流川古戦場
1582年(天正10)織田信長が本能寺で倒されたとき、
信長の仇をうつため関東管領瀧川一益は
1万6千の兵を率い京へ志したが、
北条氏は五万の大軍を神流川流域に進め、
この地で猛暑のなか瀧川軍が戦死者3760人をも出すほどの
大激戦を繰り広げた、歴史に残る合戦。

14:30ガトーフェスタ・ハラダ

中に入ると コーヒーとお菓子のおもてなしがありました

今日は「新町ハイキング」
のチェック地点みたいです

お菓子「ラスク」でこんなに素晴らしい店舗を
作った手腕は凄いですね

みんなでお菓子を買ってきました

新町宿(しんまちしゅく)とは、江戸から数えて11番目の宿場

現在の群馬県高崎市新町にあたる。はじめ本庄宿と倉賀野宿との間は、烏川北岸の玉村を経由する
ルートだったが、慶安4年(1651年)に落合新町、承応2年(1653年)に笛木新町(いずれも烏川南岸)に
伝馬役が命ぜられ、ルートが変更された。これに伴い、中山道で最も遅く新町宿が成立した。
これにより67宿となったが、東海道と重複する草津宿大津宿を加えて中山道六十九次(または木曽街道六十九次)と呼ばれた。

14:54常夜燈

見透燈籠
神流川が荒れるたびに川瀬道筋が変わり、
夜道を歩く旅人を悩ましていた。
新町宿と本庄宿の役人は、川の両側岸に灯籠を建てて
旅人の安全を図ろうと計画した。
新町宿では、12年間建設費用を貯え1815年(文化12)灯籠を建設し、
人々はこの灯籠を見透燈籠と呼び親しんだ

新町宿の入口道標
となっています


15:03八坂神社

15:07諏訪神社

15:10専福寺

15:11浄泉寺

境内に高崎市指定文化財大銀杏。

15:19行在所公園


15:23お菊稲荷

境内いっぱい朱色の鳥居が立並ぶ
於菊稲荷神社。

於菊稲荷神社
江戸時代、旅籠大黒屋で働く越後の貧農の生まれの飯盛り女・
於菊は、美貌で気立てが良く
この稲荷を熱く信心していた。
ところがある日、突然体が動かなくなる病気にかかってしまった
宿場の人たちが哀れに思い稲荷の境内に小屋を建て、
於菊を3年もの間養生させた。
ある夜,稲荷神が現れ於菊の病を治してくれたので、
感謝した於菊は稲荷神社の巫女となった。
以来 於菊稲荷と呼ばれるようになったと言う。

15:45新町駅

参考にさせていただいているHR
楽しく歩こう中山道
武州路
上州路
信州路
木曽路
ほんとに歩きやすいマップです
みんなで持って歩きます
歩く中山道 写真と文章で詳しく説明が載っています
とても参考になります
ゆっくりキョロキョロ旧中山道を歩く
ルートマップ
印刷はできませんがとても参考になります

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