2012年の山行記録 中山道を歩く

2012年4月8日(日)晴れ
中山道を歩くシリーズ11  16松井田宿~ 17坂本宿
高崎駅~磯部駅 41158歩

  
松井田j宿                         坂本宿
浮世絵中山道

L藤井
参加者 14名

6:24前橋駅~7:21磯部駅~8:00日枝神社~8:02自性寺~8:24妙義常夜燈と道祖神~8:32神明神社~9:04崇徳寺
~9:16みなとや~9:31松井田商工会館~9:50補陀寺~10:04松井田城跡~10:25一里塚跡~10:54五料高札場跡
~11:00茶屋本陣お東 茶屋本陣お西(昼食)~12:02青面金剛塔~12:03夜泣き地蔵と茶釜石~12:15馬頭観世音~
12:20碓氷神社~12:35百合若大臣踏石~13:03横川駅~13:20茶屋本陣の碑と旧茶屋本陣~13:21諏訪神社~13:27
碓氷関所跡~13:46薬師堂~13:48薬師の湧き水~14:00水神社~15:00坂本宿下の木戸~金井本陣跡~14:13佐藤本陣跡~
脇本陣みよがや~脇本陣永井~公民館・脇本陣酒屋~旅籠かぎや~たかさごや~14:25坂本宿上の木戸~14:26坂本八幡宮
~14:41中山道登山口~15:26横川駅

今日は前回の続き、磯部駅から歩き出します
寒い日が続いていましたが 今日は穏やかな暖かい一日になるみたいです

7:21磯部駅から歩き出します

7:51道祖神

民家にあった釣瓶井戸です

8:00日枝神社

8:02自性寺

松井田宿(まついだしゅく)とは、江戸から数えて16番目の宿場。現在の群馬県安中市松井田町にあたる。
天保14年(1843年)の『中山道宿村大概帳』によれば、松井田宿の宿内家数は252軒、
うち本陣2軒、脇本陣2軒、旅籠14軒で宿内人口は1,009人であった。 


8:24妙義常夜燈と道祖神

奇怪な岩峰 妙義山

8:32神明神社

ここは「英 泉」の坂本宿の浮世絵の モデルとなったところだそうです
昔はもっとこんもりとしていたのですね


真っ白な浅間山

道祖神
9:04崇徳寺

9:16お休み処みなとや

無料休憩所は今日はお休みでした

9:31松井田商工会館

立派な建物ですね

9:50補陀寺

創建は応永年間(1394~1428)、無極慧徹禅師が開山したのが始まりと
伝えられています。境内には政繁の宝篋印塔が建立されています。

10:04松井田城跡
お寺の門前に松井田城の案内板がありました

10:25一里塚跡


わかりずらいところにありました
松井田警察署の反対側の細い路地へ曲がります
竹藪のひっそりとしたところに案内板が立っていました

さすが我がリーダー見逃しませんね

道路わきに おきな草が可憐な花を咲かせていました

10:54五料高札場跡

この先に五料本陣がありました

11:00五料茶屋本陣 お東 お西 (昼食)

五料村茶屋本陣は江戸時代に参勤交代などで中山道を通行する大名や
公家などが休息したところで、本陣のような宿泊用施設ではなく、
休憩や昼食あるいは他の大通行が関所にかかっている間の時間待ち
などに利用された。そのため部屋数は少なく、
上座と呼ばれる書院造りの上段の間・下の間・式台・通りなどを備えている。
家族の生活の場は、勝手・茶の間・中の間・納戸などからなっている。
また茶の間に続く広い座敷は名主役宅として村役所の機能を果たしていた。
五料の茶屋本陣は2軒あり両家とも中島姓なので、
「お西」「お東」と呼んでいる。
両家とも代々名主役(二人名主制)を勤めており、天保七(1836)年から
明治五(1872)年までは交代名主制となり一年交代で名主役を勤めている。
現在の建物は両家とも文化三(1806)年の大火で焼失し、
同年中に再建されたものである。

東西に土蔵を配し鼓山を眺める南面の借景庭園はすばらしく、
裏庭の景観も心和むものがある。

お東は平成四(1992)年中島徳造氏から町に寄贈された。
復元工事は天保十年の住居絵図面・万延元年の絵図面と解体時の
調査を参考にして建築当初の姿に復元整備された
。但し、板葺きであった大屋根は防火上の配慮から板葺風の
スレート瓦葺になっている。
間口十三間、奥行七間、総二階切妻造りで、上座は建築当初のままの
式台と表の間・次の間・上段の間、これに鍵の手の入側(畳敷きの通路)が
付いている。便所も旧位置にそれぞれ三ヶ所復元されている。
 
   
上段の間

馬屋


お西は昭和四十八(1973)年中島公男氏から町に寄贈され、
保存修理工事を行い昭和五十九年秋に公開開館された。
家族の居間などは江戸時代の再建当時に復元したが、上座の部分は
明治十一年九月六日に明治天皇が北陸東海道御巡幸の折「御小休所」
として使われた。これを受けて昭和九年に文部省指定史跡となっているので
、明治十一年に大改修された状態のままに保存されている。
間口十三間、奥行七間、総二階切妻造りで、上座の上部は二階に見えるが
壁で仕切られていて天井には入れないように造られている。

きれいに整備されています
前回歩けば お雛様祭りに間に合ったのですが今回は何もありません
休憩所でお茶をいただきお昼にしました

   
12:02青面金剛塔 
     
12:03夜泣き地蔵と茶釜石

茶釜石を小石でたたくといい音がします
たたく場所によって音階が異なります

釜石概要: 
案内板によると「 この奇石は、もと旧中山道丸山坂の上にあったものです。
たまたまここを通った蜀山人は、この石をたたいて珍しい音色に、
早速次の狂歌を作ったといいます。
"五料(五両)では あんまり高い(位置が高い)茶釜石 
音打(値うち)をきいて 通る旅人
"この石はたたくと空の茶釜のような音がするのでその名がある。
人々は、この石をたたいて、その不思議な音色を懐かしんでいます。
五料の七不思議の一つに数えられています。」とあります。
茶釜石は古くから信仰の対象になっていたようで付近には
夜泣き地蔵が安置されています。

青空にお地蔵様が微笑んでいます

春ですね


12:20碓氷神社

12:35百合若大臣の足跡石


この石は、百合若大臣が足で踏みつぶしたので、
石の上がへこんだといわれています。

その昔、百合若大臣という大男の若者がいて、力も相当あったらしく
大きな弓と長い矢で、川向こうの山に向け
「よし あの山の首あたりを射抜いてみよう」と思いつき満身の力をこめて 
 射はなった。その時、後足をふんがいたのがこの石と言われています。
これを見ていた家来の一人も負けづと思い、腰にぶらさげていた弁当の
むすびを力いっぱい放り投げ、山には二つの穴があきました。
これで今でも二つの穴が、ここから見ると夜空の星のように見え、
この山を「星穴岳」と呼ぶようになたっと言われています。
百合若大臣がその時使った弓と矢が妙義神社に奉納されています。

妙義山の星穴岳が見えます

こんな面白い伝説があったなんて知りませんでした

13:03横川駅

ここで一休みです
     

13:20茶屋本陣の碑と旧茶屋本陣

横川の本陣跡です
民家です
     


13:21諏訪神社
13:27碓氷関所跡

案内の人が説明をしてくれました

おじぎ石


13:46薬師堂

午前中 近所の女性たちが集まって講が開かれ賑やかだったそうです

13:48薬師の湧き水

14:00水神社

坂本宿(さかもとしゅく)とは、江戸から数えて十七番目の宿場。現在の群馬県安中市松井田町坂本。
JR信越本線横川駅から国道18号線(旧道)を軽井沢方向に2kmほど行ったところにあり、その途中に
碓氷関がある。中山道有数の難所であった碓氷峠の東の入口にあたり、本陣脇本陣合わせて4軒、旅籠は最盛期には40軒ある、比較的大きな宿場であった。

天保14年(1843年)の『中山道宿村大概帳』によれば、坂本宿の宿内家数は732軒、うち本陣2軒、
脇本陣
2軒、旅籠40軒で宿内人口は732人であった

15:00坂本宿下の木戸

ここから坂本宿が始まります

坂本宿は江戸時代に計画的に作られた宿場で街並みが整然としていて
道幅も広くできています

金井本陣跡
     14:13佐藤本陣跡
     
     
    脇本陣みよがや
     
    脇本陣永井 
     
     
     公民館・脇本陣酒屋
     
     
14:25坂本宿上の木戸

 
   

14:26坂本八幡宮
     

14:41中山道登山口

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次回 歩き始める登山口を確認してきました

静岡の人たちが 草津から歩いてきましたと大勢でいらっしゃいました

 


横川駅へ戻ります
駅の横には、鉄道の歴史と列車が一同に集められている
碓氷峠鉄道文化むらがあります

列車が走ってきました
みんなで手を振ります

15:26横川駅

信越線に乗って帰ってきました

春らしい穏やかな一日で満足な歩きでした (*^_^*)

参考にさせていただいているHR
楽しく歩こう中山道
武州路
上州路
信州路
木曽路
ほんとに歩きやすいマップです
みんなで持って歩きます
歩く中山道 写真と文章で詳しく説明が載っています
とても参考になります
ゆっくりキョロキョロ旧中山道を歩く
ルートマップ
印刷はできませんがとても参考になります

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