2012年の山行記録 中山道を歩く

2012年6月10日(日)
中山道を歩くシリーズ14 23岩村田宿~24塩名田宿~25八幡宿
佐久平駅~望月バスターミナルまで歩く

 
岩村田宿
浮世絵中山道
塩名田宿
 浮世絵中山道
 
八幡宿 
浮世絵中山道

L藤井
参加者 20名

5:30高崎~7:00佐久平駅~7:21岩村田駅~7:31御嶽社~7:32若宮八幡宮~8:00相生の
松~8:18稲荷神社~8:39百万遍供養塔~8:45諏訪社~9:00妙楽寺~9:08分かれ道~9:14駒形神
社~9:32塩名田道標~9:34本陣跡~9:41問屋本陣跡~9:44佐久市公民館~9:58高札場跡~
10:06十九夜塔~3階建住居群~10:11船繋石~10:29南無阿弥陀仏~10:34大日如来像~
10:44御馬寄一里塚~10:50御井大神~10:59生井大神~11:06八幡神社(昼食)11:55~
12:10本陣跡~12:24八幡宿道標~12:42祝言道祖神~12:44若宮大権現と
二十三夜塔~12:59望月宿案内~13:23瓜生坂一里塚~13:26瓜生坂百万遍念仏塔~13:45
石尊大権現~13:51長坂分岐点~望月宿~14:46望月バスターミナル~15:09佐久平駅~高崎

リンゴ園や田んぼの のどかな田園を歩き、千曲川を渡り、佐久盆地を西へ向かいます
今日は総勢20名、迷子にならないように歩きましょう

岩村田宿(いわむらだしゅく)とは、中山道六十九次のうち江戸から数えて二十二番目の宿場

現在の長野県佐久市岩村田一帯。

内藤氏1万6千石の城下町で、善光寺道、佐久甲州街道との追分があったことから経済の中心地と
して大変賑わった。ただ大名は城下町であったため遠慮して宿を素通りしたので、本陣も脇本陣もな
かった。また旅人も堅苦しい城下町を好まなかったため、旅籠も最盛期でも8軒と少なかった。名物
佐久鯉は、藩財政立て直しの策として、並木七佐衛門が育成したもの。宿場は現在は商店街となって
いるが、全く当時の面影を残していない。


7:00佐久平駅

佐久平駅浅間口の駐車場へ車を止め 前回の終わりの
岩村田駅へ向かいます
 
   
     7:21小梅線 岩村田駅

 
   
    7:31御嶽社
 
   
     道祖神
 
   
     7:32若宮八幡宮

 
   
    8:00 相生の松
雌雄2株が結びついてめでたい松と、
ここで和宮が野天をしたという。現在の松は3代目。


 
   
    8:18稲荷神社

 
   
     8:39百万遍供養塔
庚申塔が無くなり、百万遍供養塔が多くなりました

百万遍念仏とは
自身の往生、故人への追善、各種の祈祷を目的として念仏を百万回唱えること
室町時代から戦国時代にかけて宮中から地方の村々
の間にまで百万遍念仏が広まった
 
   
     8:45諏訪社

 
   
     趣ののある街道です
 
   
     9:00妙楽寺
 
   
     9:08分かれ道
     
     重要文化財駒形神社」
9:14駒形神社
 
「野を横に 馬引きむけよ 郭公」芭蕉句碑
 
   
    橋を渡り階段の上ったところ、本殿が重要文化財
 
   
     分かれ道
塩名田宿(しおなだしゅく)とは、中山道六十九次のうち江戸から数えて二十三番目の宿場

現在の長野県佐久市塩名田。暴れ川であった千曲川の東岸にあり、旅籠が10軒以下の小さな宿場
にも拘らず、本陣脇本陣が合わせて3軒あった。も掛けられたが洪水の度に流失し、
や徒歩で渡るのが専らであった
1756年
(宝暦6)再建の丸山新左衛門家本陣が、切妻・本棟造りの堂々とした姿で残っている。  

     9:32塩名田道標
 
   
     通りの両側には、当時の大きな屋号看板をかかかげた建物が並ぶ。

 
   
    9:34本陣跡 
丸山善兵衛本陣跡の大井屋店
     
   

9:41問屋本陣跡
丸山新左衛門本陣跡・問屋跡。
 
   
    本陣、脇本陣、問屋、名主などは丸山氏の同族が主に務めた。 
 
   
     9:44佐久市公民館前
 
   
     公民館前には きれいなトイレ、バス停がありました
休憩です
 
   
     9:58高札場跡

 
   
    塩名田宿で最も古式の町屋様式を伝える佐藤半佐衛門住宅
 
   
   通りの両側には、当時の大きな屋号看板をかかかげた建物が並びます

 
   
     10:06十九夜塔

瀧大明神社の境内で、ケヤキの大木の根本から大量の
清水が湧き出ていて、旅人の喉を潤していた。
当時の名残りの新しい建屋の水飲み場その左側に、
1839年
(天保10)建立十九夜塔と明治20年頃建立道祖神
 
   
    3階建住居群

角屋を過ぎると、当時の宿場を彷彿させる素晴らしい景観
宿場はここで終わり、突当りを左折する

 
   
     3階建建物
 
   
    10:11
舟つなぎ石
明治6年から25年まで舟橋の台舟を繋ぎとめていた石で、上部に綱を通す穴がある。
約110m巾の千曲川に、9艘の舟を繋ぎ、
その上に板を架けて渡していた
 
   
    元に戻り、川沿いに進み、中津橋の下を潜り、左折して道路沿いに進み、
道路に上がりUターンして中津橋歩道橋を渡る。昔は荒れ川であった
千曲川
は、今おだやかに流れ、そして越後の信濃川に名前が変わります
 
   
    10:29南無阿弥陀仏
 
   
     10:34大日如来像
白い頭巾と前掛けの大日如来像

「涼しさや 直ぐに野松の 枝の形」
芭蕉句碑

 
   
    10:44御馬寄一里塚
 
     
     10:50御井大神
 
   
     10:59生井大神
 八幡宿(やわたしゅく)とは、中山道六十九次のうち江戸から数えて二十四番目の宿場である。

千曲川西岸にあり、対岸の塩名田宿との距離は4kmもなかったが、川止めになったときの
待機地として、中山道開通のとき周辺の3村の住民を移住してつくられた宿場

次の望月宿の間には、古代東山道の難所瓜生坂越えがあった。本陣1軒、脇本陣4軒。  

    11:06八幡神社(昼食)11:55

八幡宿の名の由来となった1491年(延徳3)建立八幡社
境内に朝鮮からの渡来人を祀った
国指定重要文化財旧本殿高良社がある。
 
   
     ちょっと荒れていますが立派な神社です
 
   
     裏の東屋で昼食休憩

 
   
     12:10本陣跡

右側に当時の門が残る小松本陣跡

 
   
     12:24八幡宿道標

 
   
     12:42祝言道祖神

長野県安曇地方で発生した道祖神で、宮廷貴族の装いをした
男女が酒を酌み交わしている像。神々の装束を身にまとって
いるものが通例な中にあって、宮廷風の造りは非常に珍しい。
     
     12:44若宮大権現と二十三夜塔
     
     12:59望月宿案内

 
   
     13:23瓜生坂一里塚

 
   
     13:26瓜生坂百万遍念仏塔
 
 
   
     13:45御嶽山

 
   
     道祖神

 
   
     13:45 

 
   
      13:51中仙道長坂分岐点

 
   
     望月宿~

問題発生
一人はぐれてしまいました が 
無事 バスターミナルで会えました
次回は ここから歩き出します

14:46望月バスターミナル

参考にさせていただいているHR
楽しく歩こう中山道
武州路
上州路
信州路
木曽路
ほんとに歩きやすいマップです
みんなで持って歩きます
歩く中山道 写真と文章で詳しく説明が載っています
とても参考になります
ゆっくりキョロキョロ旧中山道を歩く
ルートマップ
印刷はできませんがとても参考になります

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