2012年の山行記録 中山道を歩く

2012年9月1日(土)~2日(日)
中山道を歩くシリーズ15 
25望月宿 26芦田宿 27長久保宿 28和田宿
望月バスターミナルから~下諏訪駅まで歩きました


L藤井
参加者18名 

9月1日
コースタイム
5:40高崎~佐久平駅駐車場~大型タクシー~7:33望月バスターミナル~歴史民俗資料館~7:50本陣~
脇本陣~7:54大伴神社~武重酒蔵本家~8:45大沢酒蔵資料館~9:17茂田井一里塚跡~9:33芦田
宿入口~9:49芦田宿本陣~脇本陣~9:53金丸土屋旅館~10:03正明寺~10:13常夜燈~10:15道祖
神~笠取峠の松並木~10:30休憩所・牧水歌碑(昼食)11:03~笠取峠一里塚~笠取峠~立場茶屋跡
~野道~国道142号線を歩く~12:12松尾神社~一福処浜屋~12:25本陣石倉家~釜鳴屋屋~濱田
屋旅館~三千僧接待碑~若宮八幡~14:29芹沢一里塚~14:48和田宿の碑~和田埜神社鳥居~
15:13本亭旅館~上和田バス停~村内循環バス~濱田屋旅館(泊まり)

暑い夏が続いていて9月になっても 暑さが続きそうです
今回は高崎に集合、車3台 佐久平駅の浅間口駐車場に車を止め大型タクシーに乗り換え
前回の望月バスターミナルへ向かいます

25望月宿
蓼科山の裾野にあって、平安時代から馬の名産地で知られ、馬の売買で賑わった宿場。
旧暦8月15日の満月の日に、朝廷に馬を献上したことから、満月を意味する「望月」の名がついた。
現在の町並には、脇本陣や宿最古の建物の旅籠兼問屋などの当時の面影を残す建物が残っている。
望月地区は、古くからの原始信仰である野仏像や道祖神が3,000基以上残っていると言わる石仏の里
本陣1軒、脇本陣1軒。


あれ あれ
デジカメのスイッチが入るのに レンズの所がヌューと出てこない
壊れた! (ー_ー)!!
どうする 
しょうない 携帯で写真を撮ることにしよう

5:40高崎に集合、車3台に乗り 佐久平駅の
浅間口駐車場に車を止め大型タクシーに乗り換え
前回の望月バスターミナルへ着きました

7:50
歴史民俗資料館
本陣跡は今は医院として使われています
出桁造りで連子格子の家が多い

7:54大伴神社

大伴神社を過ぎれば 宿場町は終わる
緩やかな起伏の県道を行く

間の宿(あいのしゅく) 茂田井宿です
     

茂田井の街道は
元禄から続く老舗の酒蔵や土蔵造りの街並みが残り 江戸の情緒を今に伝えています

実際住むのには大変でしょうが 街を愛しているのでしょうね
     

8:45
大澤酒造株式会
元禄2年創業 
敷地内には酒造用建物を活用した「しなの山林美術館」や
「民族資料館」が併設されている

お酒を試飲 今宵の為にお酒を購入した人
お酒の弱い人のために 甘酒を買った人
絵画の鑑賞をした人
人 それぞれ楽しみます

26芦田宿(あしだしゅく)とは、中山道六十九次のうち江戸から数えて二十六番目の宿場。現在の長野県北佐久郡立科町芦田にあたる。難所であった笠取峠の東の入口にある。生糸の産地でもあった

     9:33芦田宿入口
芦田宿は現在立科町中心地になっている
     
9:49芦田宿本陣~脇本陣

     9:53金丸土屋旅館
     

10:03正明寺

北向きのお寺です

風が 心地よく 休憩です
    10:13常夜燈

新しいです 
     
10:30休憩所・牧水歌碑(昼食)11:03

朝が早いので 大休憩 
10:30昼食です
牧水の歌碑がありました

笠取峠への松並木道へ入る
江戸時代初期幕府から赤松753本小諸藩へ下付され、芦田宿のはずれから峠の頂上まで植えられた
現在は松並木は1Kmほどしか残っていない
登山道は 気持ちのいい路で
なだらかな登り坂で楽に歩けました

下りは国道142号線をひたすら歩きます

中山道原道を歩いて細い道へ入り
みんなと別れてしまいました
12:12松尾神社へ着きました
明日がお祭りだそうです

27長久保宿(ながくぼしゅく)
とは、中山道六十九次のうち江戸から数えて二十七番目の宿場
難所であった和田峠笠取峠との間にあって、最盛期には旅籠が50軒近くある比較的大きな宿場
であった。宿場の発展と共に町並みが横丁の先に広がり、カギ型に曲がった珍しい形の宿場町となった
長久保宿の街並みです
突き当りが濱田屋さんです
戻ってきて宿泊するので 荷物を宿へ預け また歩き出します
     
    13:11 四泊(よどまり)一里塚

14:29芹沢一里塚
28和田宿(わだしゅく)
とは、中山道六十九次のうち江戸から数えて二十八番目の宿場
難所であった和田峠の入口にあたり、標高820メートル余りの高地にある静かな山里である。
次の下諏訪宿まで五十八(約23km)と距離があったため、荷駄を運ぶための伝馬役が
最盛期には70軒ほどあった。現在も旧本陣や古い家屋が現存し、修理保全されている。
宿周辺の産物に黒曜石がある
14:48
是より和田宿

本亭旅館(元庄屋)
春に店を閉めてしまいました
残念ですね

河内屋(歴史の道資料館)
定信寺
本陣(復元)
脇本陣
よろづ屋
高札場跡
本日のお宿は長久保宿にあるので
村内循環バス(100円)に乗って和田宿から戻りました


濱田屋さんはお部屋は広々とした日本間 
夕食もとても美味しく 話が弾み ビールにお酒、
リーダー心使いの甘酒が美味しかった!
9月2日(日)
コースタイム
6:30朝食~7:40村内循環バス~和田宿バス停~和田一里塚~9:34茶屋本陣跡~9:41唐沢一里塚
~9:59ここから山道~三十三体観音~10:40接待茶屋跡~11:23東餅屋一里塚~ドライブイン(昼食)
12:40~13:00和田古峠~13:14石小屋跡~13:57西餅屋一里塚~14:57水戸浪士の墓~15:06樋橋
立場茶屋本陣跡~15:47木落とし坂~16:21山の神神社~16:39諏訪大社下社春宮~
16:44万冶の石仏~17:10下諏訪駅17:50~佐久平駅~高崎
和田峠(わだとうげ)は中山道(中仙道)ので、長野県長和町下諏訪町の間にある。最大標高1,531m
中山道は、江戸幕府によって整備された街道であり、平均すると2程度の間隔で宿場町が置かれて
いたが、この和田峠は険しい山の中にあり、峠の江戸側の和田宿と京都側の下諏訪宿の間隔は実に
5里半弱と長い。冬季の降雪も多く、中山道最大の難所とされていた。このため、途中に何箇所か旅人
のための避難所や茶屋が設けられていたほどである。これらの茶屋は「西餅屋(下諏訪宿側)」「東餅
屋(和田宿側)」「接待(和田宿側)」などと呼ばれ、いまでも地名にその名を残している。
6:30
濱田屋さんで美味しい朝食を頂きます
この宿 ほんとにお料理が美味しいです

濱田屋さん玄関前に おかみさんにも入ってもらって
全員集合!

村内循環バスで 前日の上和田バス停へ向かいます
「あれ 雨が降ってきた~」

カッパを着て笠をさします
この後は一日雨が降ったりやんだり
カッパを着たり脱いだり 笠をさしたりつぼめたりと
大忙しでした
でも 炎天下を歩くより歩きやすかったかもしれません

しっとりした 和田宿を歩きます

分岐路には 青い標識が立っていました

「ゴミ無し童地蔵」
「僕に似ている」 と 「なぜなぜ」するYさん

9:34茶屋本陣
普通の民家の表札に本陣とあります

9:41唐沢一里塚

9:59ここから山道へ入ります

三十三体観音

     整備されていて歩き安い 路です
緩やかに 登ります

    10:40接待茶屋跡

  接待茶屋の前に 水汲み場があり美味しい水が
出ています
ペットボトルの水を入れ替えます


     また 山道を歩きます

11:23東餅屋一里塚

国道へ出たところのドライブインで昼食にしました
雨が時々降るので屋根のあるところで食べたかったのですが
これが 大失敗
おじさんの説明どうりにならず時間が過ぎて 
美味しくない 蕎麦をいただきました
12:40出発

13:00和田古峠(わだふるとうげ)

ここが 一番の難所だったのですね

13:14石小屋跡

国道を横切って山道へ入ります

西餅屋茶屋跡

13:57西餅屋一里塚

ここから 国道沿いに歩きます
雨が 降ってきて 
車が 横をフルスピードで通りぬけます
ここが一番疲れたところです


14:57水戸浪士の墓

水戸浪士の墓の前で 3人 ギブアップ
タクシーを呼ぶとすぐ迎えにきました

15:06樋橋立場茶屋本陣跡

15:47木落とし坂

天下の木落とし坂 テレビでよく放映されますが 
「え こんなに 坂は 小さいの」

16:21山の神神社

諏訪湖と諏訪の町がよく見えます

やっと諏訪大社へ着きました

16:39諏訪大社下社春宮


16:44万冶の石仏

下馬橋

17:10下諏訪駅17:50


やっと 目的地へ到着です
リーダーは次回の駐車場の確認をおこたりません
汗をかいたので上だけ着替えます
まだまだ 家に帰るまで気が抜けません

中央線で佐久平駅へ向かい 高崎へ帰ります

リーダー みなさん お疲れ様 (*^_^*)

参考にさせていただいているHR
楽しく歩こう中山道
武州路
上州路
信州路
木曽路
ほんとに歩きやすいマップです
みんなで持って歩きます
歩く中山道 写真と文章で詳しく説明が載っています
とても参考になります
ゆっくりキョロキョロ旧中山道を歩く
ルートマップ
印刷はできませんがとても参考になります

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