2012年の山行記録 中山道を歩く

2012年9月16日(日)
中山道を歩くシリーズ16
29下諏訪宿~30塩尻宿~31洗馬宿~32本山宿

前回は和田峠越えをしましたが 雨が降ったり止んだりの天気で最後 時間切れになり途中で駅へ直行しました
今回は下諏訪宿 塩尻宿 洗馬宿 本山宿と 強行軍です

22キロ近く歩かなければなりません 出発を1時間早めて出かけます さあ 頑張るぞ~

L藤井
参加者 18名

4:30高崎~7:00諏訪大社春宮~7:09一里塚跡~7:11御作田神社~7:15番屋跡~7:17今井邦子文学館・下諏訪井湯の町碑
~7:21本陣岩波家~7:23脇本陣まるや~7:24甲州道中中山道合流点~7:26諏訪大社下社秋宮本殿~7:38下諏訪駅入口信号
~7:42魁(さきがけ)塚~7:45一宮石燈籠~7:46諏訪大社下社春宮大鳥居~8:14渡辺家~8:22平福寺おひぎりさま)~
8:24伊那道道標~9:01番所跡~9:02茶屋本陣今井家~9:15道標~9:24石船観音~9:29大石~9:45馬頭観世音~
10:00塩尻峠~10:02展望台(昼食)10:46~10:51親子地蔵~10:56東山一里塚~11:19牛馬守護神~11:40道祖神
~12:00塩尻宿~12:09本陣跡~12:55大門神社~12:56耳塚~13:19平出一里塚~14:16肘懸けの松~14:27洗馬駅
~14:49言成地蔵~14:58牧野一里塚~14:39洗馬本陣跡~15:26中山道本山宿碑~15:39旧本陣跡・脇本陣跡~
15:57長泉寺~15:59JR中央線日出塩駅16:13~16:22塩尻駅14:58~17:12下諏訪駅~17:19駐車場~高崎

 29下諏訪宿
浮世絵中山道

難所であった和田峠の西の入口として、諏訪大社下社(しもしゃ)の門前町として栄えた。
また、甲州街道の終点でもあり、45軒の旅籠があった。古くは鎌倉時代から温泉の利用が確認されており、中山道唯一の温泉
のある宿場であり、当時の絵画などには温泉を利用する旅人たちが描かれている。

天保14年(1843年)の『中山道宿村大概帳』によれば、下諏訪宿の宿内家数は315軒、うち本陣1軒、
脇本陣1軒、旅籠40軒で宿内人口は1,345人であった。



4:30高崎~7:00諏訪大社春宮

7:09一里塚跡

7:11御作田(みさくだ)神社

御作田(みさくだ)神社の清水
近所の人が 水を汲んでいました

左から温泉 右から清水が流れています

~7:15番屋跡

下諏訪井湯の町碑

7:17今井邦子文学館

    湯田坂をのぼる 
     
7:21本陣岩波家

本陣は岩波家として現在も一部が一般公開されている。諏訪大社下社秋宮の境内を借景とし
広大な庭園を持つことが知られていたが、現在は宅地化が進み、一部のみを見ることができる。
皇女和宮降嫁の際、また明治天皇が宿泊した際奥の座敷を見学することができる。

門から本陣屋敷へ

     7:23脇本陣まるや

脇本陣「桔梗屋」「まるや」は旅館として現在も営業している。
玄関前の手水は温泉が流れています

 
   
7:24甲州道中中山道合流点

7:26諏訪大社下社秋宮

7:38下諏訪駅入口信号


本願寺

7:42魁(さきがけ)塚

     7:48道祖神
     
7:45一宮石燈籠

8:14渡辺家

8:22平福寺おひぎりさま

8:24伊那道道標


家や庭、門など風格のある柿沢集落を歩く
屋根の上にあるのは雀?

9:01今井番所跡

9:02立派な建物の茶屋本陣今井家

9:15道標

9月になっても日差しが強い
今日は笠は日傘です
国道を上を通り 塩尻峠へ向かいます

9:24石船観音


暑くて 木立深い観音様へお参りです

よくお参りします

峠までキツイ登りです
高校生の野球部員に2回も追い越されてしまいました

9:29大石
9:45馬頭観世音

10:00塩尻

10:02展望台(昼食)10:46

朝が早いので お昼にします
さすが9月
日陰は涼しいです

  
     
展望台からは 諏訪市内 諏訪湖 八ケ岳 富士山も見えました

反対側からは御嶽山 乗鞍岳 北アルプスが見えます

さあ ここからは下りです

10:46茶屋本陣

10:46明治天皇塩尻嶺御膳水

10:51親子地蔵

赤いよだれかけが緑の木々に映えます

10:56東山一里塚

11:19牛馬守護神

馬頭観世音でなく牛馬守護神は珍しいです 

11:31長野自動車道を横切ります

11:40道祖神

これは抱き合っています

11:44高札場

この辺は 稲刈りが始まっています
早いですね
     

30塩尻宿
(しおじりしゅく)とは、江戸から数えて三十番目にあたる宿場中山道江戸時代初期の慶長年間に大久保長安
によって整備された当初は、当所を通らず下諏訪宿から贄川宿を結ぶ最短経路であったが、
この区間が難所続きであったため大久保長安の死後に経路が変更され、
宿場として整備された。最盛期には旅籠が70軒以上あり、松本藩六万の玄関口として栄えたとされる。

慶長10年(1726年)以降は天領になり、幕府の塩尻陣屋が置かれた。明治16年の大火で町の大部分を焼失したため往時の様子
を留めるものは少ないが、堀内家住宅など貴重な文化財も残されている。

塩の道と呼ばれる三州(伊那,飯田)街道の分岐点でもあり、三河国からは南塩が、また糸魚川からは松本経由で北塩が運ばれた。

12:00塩尻宿

12:01塩尻口留番所跡

民家2階の装飾です

なに?
 
   
     12:09高札場
 
   
    12:09本陣跡

もう 暑い
道路沿いに みんな並んで休憩です
 
   
     12:19脇本陣跡
 
   
     12:20塩尻陣屋跡
 
   
     道端の道祖神と庚申塔
 
   
     12:55大門神社

今日はお祭りで 家々に縄に御幣が下がって神社まで繋がっています
子供相撲が あるそうです
 
   
     12:56耳塚

 
   
     昭和電工の塀沿いに歩きます

暑い~!
 
   
     13:19平出一里塚

一対完全に残っている一里塚です

 
   
    右側は 道路から少し入ります
朝鮮アサガオが綺麗に咲いていました

 
   
     自動販売機を見つけると 水分補給です

平出遺跡を過ぎるとブドウ畑が広がります
塩尻は日本有数のワインの里です
     
31洗馬宿

洗馬宿(せばじゅく)は中山道31番目の宿場。古くは洗場とも記されていた。

1614年慶長19年)、中山道のルート変更に伴い、塩尻宿・本山宿とともに設置された。
洗馬で中山道から分岐する北国西街道(善光寺街道、善光寺西街道)は、西国から善光寺へ向かう人々が利用した。
また街道を通行する伝馬の荷物の重量を検査するために「貫目改所」が置かれた。  

    14:16肘懸けの松
 
   
     14:17追分の道標と常夜燈

 
   
     14:20新しい追分

 
   
    14:27洗馬駅

暑い~!
駅でトイレ休憩です

     14:39洗馬宿本陣跡
 
   
     14:45高札場跡
 
   
    14:49言成地蔵尊

御社には千羽鶴がたくさん上げられており お参りする人が後を絶たないようです

私も願いを込めてお願いしてきました
「・・・・・・・・・をお願いします」
 
   
     
 
   
    14:58牧野一里塚
 
   
  家族総出で 稲上げです
コンバインで刈り 機械で米を乾燥させるのでなく自然乾燥の米は美味しいと思います
米にするまで苗を植え 稲を刈り 干して 脱穀してと
88の手がかかります
     
32本山宿

本山宿(もとやまじゅく)は中山道32番目の宿場

1614年慶長19年)、中山道のルート変更に伴い、塩尻宿洗馬宿とともに設置された。
そば切り発祥の地といわれるが、現在そばが食べられるのは「本山そばの里」だけ 

     15:26本山宿

 
   
    15:27秋葉山

 
   
     本山宿の街並みは出桁(だしげた)造りの格子の家が並びます
 
   
    15:26中山道本山宿碑
 
   
    15:57長泉寺
 
   
    15:59JR中央線日出塩駅16:13
16:22塩尻駅14:58~17:12下諏訪駅

やっと予定の日出塩駅へ着きました
予定の時間の電車より1時間早い電車に乗れそうなので最後は スピードアップで歩きました
もう 足の裏がジンジンします
     
    17:19駐車場~高崎  

無事 全員 朝の車を置いた下諏訪の駅前の駐車場へ着きました

頑張りました (*^_^*)

参考にさせていただいているHR
楽しく歩こう中山道
武州路
上州路
信州路
木曽路
ほんとに歩きやすいマップです
みんなで持って歩きます
歩く中山道 写真と文章で詳しく説明が載っています
とても参考になります
ゆっくりキョロキョロ旧中山道を歩く
ルートマップ
印刷はできませんがとても参考になります

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