2013年の山行記録

2013年12月1日(日)
地蔵峠 (倉渕)

L椛澤
参加者7名

コースタイム
8:00高崎〜9:00高崎市倉渕支所〜10:00観音山小栗邸跡〜10:40東善寺〜昼食〜12:50高崎市倉渕支所=車移動=
13:50姉妹観音=14:10道しるべ=14:30地蔵峠=高崎

今回は地蔵峠歩きでなく 小栗上野介 史跡めぐりをしました

■小栗上野介(1827-1868)

徳川家の旗本
小栗家(神田駿河台に生まれ、1860年(万延元年)34歳の時、井伊大老の抜擢により日米修好通商
条約批准の遣米使節(目付・監察)として、
米艦ポウハタン号で渡米、さらに二隻の船を乗り継いで地球一周して帰国
その後の八年間幕政をささえ、日本の近代化を押し進めました。

慶応四年三月、幕府から帰農許可を得て領地である権田村に移住。東善寺を仮住まいとして観音山に住宅建設を
進める。同年閏四月六日、西軍(明治新政府軍)のため罪なくして
水沼河原で家臣三名とともに斬首される

8:00高崎〜9:00高崎市倉渕支所

支所の横で 「小栗の里」道の駅を新築中です
この辺には道の駅がなかったので 楽しみです
歩きはじめると道祖神がありました
倉渕には道祖神がいっぱいあるそうです

これは男女が抱き合っています

落合の道祖神

岩窟観世音
     国道406から 横に入り かなり歩きます
     
    10:00観音山小栗邸跡
     
     小栗上野介さん を偲びます
     
     礎石から想像すると大きな屋敷だったらしいです
     
     10:40東善寺

 小栗上野介の遺品や由来の品が沢山展示されています
     
    「あ」 
     
     「ん」
     
     小栗上野介のお墓です
     
    入場料100円で東善寺の中を見学します

会津へのがれた小栗夫人の足跡
他 たくさんの展示物がありました

住職の小栗上野介 への思い入れが伝わります
     
   
 〜昼食〜
支所へ戻ります
烏川の土手で昼食です
     
     烏川の縁を歩いて 支所へ戻ります
     
     12:50高崎市倉渕支所へ戻ってきました

みんな疲れてしまったので 後の行動は車移動にしました
     
    小高用水を見学
     
     田んぼの先に丸い水路があり
ここから水が田んぼへ流れていました

上野介が近代的測量を行い、水不足で困っていた小高の集落に
遠い所から引いた水路です
枯れる事無く今でも延々と流れています
     
     小栗上野介が
斬首された場所です
     
    顕彰慰霊碑 が建っています
     
     また車へ戻り姉妹観音へ向かいます

遊歩道の先の岩の所に 姉妹観音が立っていました

小栗家用人の塚本真彦家族は西軍の探索を逃れた
山奥深い寂しいこの地に幼い童女二人が命を落とし、
埋められたそうです。
     
   
13:50姉妹観音
     
    14:10道しるべ
「みぎは山みち ひだりはまついだ」と彫られているそうです
「まついだ」はよくわかります

それから地蔵峠へ向かいました


     

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